俺の人生

千堂LIFE Blogへようこそ。どうも千堂です。

今回は、俺の人生を皆さんにブログを通して、さらけ出します。

 

【保育園時代】

保育園時代は、めちゃくちゃ仲のいい子が1人だけいました。その子とは、今でも相談しあったり、支え合える仲です。毎朝、母親に送られて保育園に行けば、その子と常に一緒にいて遊んでました。その唯一、仲の良かった友達とは保育園で遊ぶ時も、ご飯の時間もお昼寝時間もずっと隣で過ごしていました。そして時が経ち、小学校の入学シーズン前に、同じ小学校に通えないことが知らされました。その子と離れ離れになる。人生初めてのショックで、ほんとに泣きじゃくりました。毎日、毎日泣いていました。保育園に行けば、会えるけど卒園したら会えなくなるという状況で毎日、泣いていました。そして、ついに卒園式の日。順調に式も進み、合唱のプログラムが回ってきました。「さよなら僕たちの保育園」をみんなで合唱し歌いました。歌っている途中から、「保育園にバイバイ」より「その友達とのバイバイ」という気持ちで涙が止まらず全然歌っていなかったのを覚えています。大好きな友達。素敵な思い出をありがとう。

 

 

【小学校時代】

そして友達と離れ離れになったまま小学校へ入学。俺の小学校時代、俺はほぼ一人で過ごしていました。あまり友達を作る気にもならなかったし、一人の方が居心地がよかったからです。あれは確か、当時小学2年生のころ、一人だけでいた俺に声をかけてくれた子がいました。その子は僕に対して、優しい一言をくれました。

「友達にならない?」という一言。当時の俺は正直、「友達は保育園時代の1人だけでいい」と思っていたのですが、とりあえず断るのも悪いと思い「うん」と一言だけ返しました。

それから、新しくその子と日々を共にしますが、何かと違和感がありました。保育園時代の方が、素の自分でいられたのです。結局、うわべだけの薄っぺらい関係で終わりました。それから、人とは関わるのに対して苦手意識を持つようになりました。小学生のくせに、めんどくさい。うわべだけの関係性はいらない。そんな風に考えて、1人でいることを選びました。ラクでした。好きな時に、友達に縛られず好きなことができる。それが、俺の人生のベストポジションだと思いました。当時、サッカーも好きでやっていました。サッカー部の人とは関わりますが、それ以外は全く気にも留めませんでした。むしろ同じサッカーしてる仲間さえ気にはしてませんでした。自分のプレーでチームを勝たせる。「俺にパス出せば俺が点取って試合は勝つから」って変な根拠のない自信を持ち好きなようにプレーしてました。誰の下にもつきたくないと心から思い、結果で上に立ってきました。そして6年生。キャプテン発表が監督からあります。キャプテンに指名された名前は俺ではありませんでした。俺はなんと2番目。副キャプテンでした。悔しすぎて、チームで一番結果を出してキャプテンの座を奪ってやると心に誓い頑張りました。半年後、前代未聞のキャプテンの座を勝ち取りました。監督は納得してない感じでしたが、親やコーチは大いに喜んでくれました。そこで確信しました。やっぱ誰かの下で何かをするのは性に合わないと。

 

 

【中学校時代】

中学校時代の俺は、ちょいとイキってる男になっちゃいました。今思えばアホやなって笑い話ですが、当時はかっこいいと思っていたんでしょう。マジでダサい。中学校時代もサッカーはしますが遊びのように中途半端でただの馬鹿でした。勉強もサッカーもダメダメの生活を過ごして時間を無駄にしたと今は反省しています。

もう中学校時代で話せるようなエピソードはありません。友達も、もちろんうわべで薄っぺらい関係です。つまらなかった。以上。

 

【高校時代】

高校は私立に入りました。そこらの公立でいいのに、私立を選ぶあたりこれもアホやなって思ってます。何もかも中途半端な奴が高い授業料払って入るような学校じゃないのに、なんで選んだのか分かりません。でも選んで入った以上3年間は何があっても辞めずに通うと決めて卒業はします。しかし、学校生活に関しては全然良いとは言えません。そもそも人間関係もだるかったし、学校に遅刻したりと。高校でもサッカーをしますが、3年間でサッカーをしてた記憶がほぼ無いです。何かしら、やらかして部停になって学校の草をむしったり、罰としてコートの周りをひたすらダッシュしてた記憶しか残って無いです。この頃、社会不適合者だと思いました。みんなからの信頼なんてなかったし、俺も信じてませんでした。小学校時代の輝きはどこへ行ったのでしょうか。

 

【専門学校時代】

高校時代、将来何をするのか決めなければなりません。ぶっちゃけ何でも良かったので、なんとなくで専門学校を選び入りました。しかし、ここは1年で辞めます。専門学校では遊びに明け暮れテキトーに過ごしてきました。この学校を辞めた理由は、2つあります。一つは、もともと家庭環境が悪く貧乏で学べるだけのお金が払えないという理由。兄弟もいて金銭面も厳しかったのはわかっていたので、潔く学校を辞めました。もう一つの理由は、中途半端な自分とおさらばすること。今まで散々自分のためだけに親に迷惑かけてきたから、それをやめると決めて学校も辞めました。

 

【就職】

そして、地元の小さな会社に就職します。しかし、そこもなんと半年で辞めました。理由は、人間関係です。仕事自体は別になんともなく良かったけど、一緒に仕事をする人たちとの人間関係に悩み辞めました。ほんとにストレスやばすぎて鬱になりそうでした。逃げて正解だと思っています。職場も環境も、いくらでも変えられるしぶっちゃけなんとでもなります。今は、地元を離れて生活をしています。その環境を一気に変えたことが今につながっていると思いました。今は、仕事して普通に働きながら、ブログ書いたりyoutubeの動画を作ったりしています。今がとても充実していて楽しいです。毎日、成長の実感もあってほんとに人生って自分次第だと思っています。

そして、実は一つ目の会社を辞めた後ニートもホームレスも経験しています。ニートとして半年間過ごしました。半年間でお金が底を着き、ホームレスになりました。住む家がなくなり、友達も頼れる人も近くにはいません。こんなマジでどうしようもない俺が今も生きています。

皆さん、胸を張り堂々と生きてください。

 

 

陽も沈めば、また昇る。月も欠ければ、また満ちる。明けない夜もない。止まない雨も無いです。終わることのない苦しみもありません。「幸せ」の土台が「辛い」今、辛いことが起きている人も、きっといい事あるので大丈夫です。

お互い、頑張りましょう。

 

 

【現在とこれから】

今現在、働きながらブログを書いて自分の考えを発信しています。youtubeの方にも動画を出しています。自分のやりたいように、嫌われながら好きなことで生きています。全然それでいいです。「人生は自分次第。」この言葉を胸に日々頑張ります。もう過去の自分に戻らぬよう前進し続けます。そして笑われても、馬鹿にされても気にせず自分の夢を追いかけます。

こんな奴でも頑張っている。そう思って何かに挑戦したり頑張る人が増えると嬉しいです。

こんな、ろくでなしでも生きているので、皆さんも周りの意見や目は気にせずに、やりたいことを全力でやってください。

 

 

 

 

皆さんへ

今回、この記事を読んでいただき誠にありがとうございます。

俺の人生を文字に起こし、全てをさらけ出しました。

皆さんも、何か辛かったり苦しんでいるのであれば、こんな奴でも生きているんだと思い返して堂々と生きてください。ぜひ共に前を向き頑張りましょう!!

 

 

最後まで、読んでいただき本当にありがとうございました!!